思えば、俺の方が年上だっていうのに最初から呼び捨てでタメ口だった。それは多分俺が上下関係、特に年下との関係にそこまで拘らないからとか、俺が意気地なしだっていうこととは関係ないと信じたい。過激な暴言も高慢な態度も許してしまう何かを、姫宮桃李という人間は持ち合わせていた。そもそも、ピンクなのがずるい。可愛いの代名詞みたいなその色は見る人の心を油断させる力を持っている。その名前だって、桃と李は花も実もあるから招かずとも人が訪れるという謂れが由来なんじゃないかと思うくらいだ。狡猾さを桃色で包んだ小悪魔は、自分のその特別さを知っている。そして多分会長であるあの人も、姫宮のそういう部分を見抜いている。見抜いて、分かった上で手元に置いているのだ。生 徒会という巨大な後ろ盾を得て、姫宮桃李は不遜な一年として先輩方々に知れ渡っている。あの態度は同い年でも許し難く感じることも多いだろし、上級生からの評判はというと最悪に近かった。

 無認可のドリフェスを取り締まった後の姫宮はいつも優越感に満ちた顔をしている。俺はそれをいつもハラハラと見ている事しか出来なかった。劣等生のレッテルを貼られ、家畜呼ばわりされ、抑圧された上級生たちの苛立ちや憎悪の視線にどうして気付かないのだろう。常に傍らに在る伏見がそれを気付かせないのか、姫宮自身が気付こうともしないのかは知らない。結局生徒側にも生徒会側にもなりきれない蝙蝠の自分に出来ることはというと、さり気なく姫宮を嗜めることぐらいだ。
「あのさ姫宮、今日みたいな態度はあんま上級生の前ではとらない方いいんじゃないか?」
 姫宮はこちらに向き直ると不服そうに頬を膨らませた。まあるい大きな緑の瞳に俺の顔が映っているのが分かる。
「はぁ? なんで僕が家畜相手に態度を改めなきゃいけないの?」
「いや、だから、あんま評判が良くないし厄介なのに絡まれたら面倒だろ?」
 そういうと姫宮はしばし真顔でこちらを見つめていた。そしてにやりと猫みたいな笑みを浮かべてこちらに一歩近寄ってくる。
「ああ、そっか! 意気地なしの衣更のくせに僕のこと気にかけてるつもりなんだね?」
「いや、意気地なしは余計だし」
「いいんだよ、別に。僕、嫌いな奴等に好かれたいとか思ったことないから」
 それが虚勢からの言葉ではないことは姫宮の目を見ればよくわかった。
「ずる賢い衣更には特別に教えてあげる。僕はね、裕福だからとか頭がいいからとか才能があるからとか、自分より恵まれている何かを持ってる人間は自分より間違いなく幸せな人生を歩んでるって思い込める短慮で愚かな奴等が死ぬほど嫌いなの。
 自分だって誰かを見下して生きてるくせに、誰かに劣る自分が可哀想だと思ってる奴が普通って言葉を盾に上にいる人間を引きずり降ろそうとしてくるの、最高に迷惑だしそんな奴等はとっとと死んじまえって思ってるのね」
 早口に捲し立てるように姫宮は言葉を吐き出していく。唇は三日月をつくるのに、その目はちっとも笑ってなんかいないことに俺は気付いていた。
「普通がなんなのか、そんなの知らないよ。僕は泥遊びなんか一度もしたことがないし、その辺の花の蜜がおやつだったとか、道端に咲いてるものなんか汚いから口に入れてはいけませんって言われて育ったから考えられないし。喧嘩もまともにしたことないなぁ。コンビニで帰りに買い食いとか、中華まんの回し食いとかしたこともないし、皆が当たり前に知ってることなんか半分もわからないよ」
 姫宮の言葉にほんの少し、自嘲のような色が混じった気がした。姫宮の当たり前が俺達に通用しないように、俺達の当たり前は姫宮にも通らない。それを多くの人間が特別と名前を付けて呼びたがった。美味しくて安全で綺麗なものを誰もが求めている。本人の望む望まざるに関わらず、姫宮にはそれだけが与えられ続けたのだ。それが幸福なことかどうかは、俺にはよくわからなかった。
「周りに流される思い込みの激しい、普通が取り柄の馬鹿は大っ嫌い。皆僕等のこと八百長だって言うけど、歌で、ダンスで、パフォーマンスで僕等に勝てるユニットがこの学園にあるの? 無いでしょ、だって僕等が一番練習してるんだもん。誰よりも自分が一番だと思えるだけのことはしてるもん。一番になろうとも思わない奴等がごちゃごちゃ煩いよ、文句言う前に此処まで辿りついてやるって気概を見せてよ。だからね、衣更のユニット、名前なんだっけ? あーあ、歌もダンスも下手だから忘れちゃった。下手くそなくせに言う事だけは一丁前でうざいしムカつくけど、多分、嫌いじゃないよ」
 遊び相手を求める子供みたいだと思った。にやりと笑う顔は子供っぽいのに、ぞっとするような迫力があるのだ。それに応えられないでいると、遠くから伏見の声が聞こえてきた。大方、姫宮のことを探しているのだろう。
「奴隷がうるさいから、黙らせに行かなきゃ。衣更、早く僕等のレベルまで辿り着いてよね。そしたら正々堂々、ボロボロに負かしてあげる」
 そう言い残すと、姫宮はピンクの髪を揺らして去っていってしまった。
 簡単に言ってくれるよなぁと思う。実際、姫宮の言う通り fine の実力は抜きんでていて、今の所対抗できそうなユニットが存在しないのも事実だった。追いつけるだろうか、いや、追い抜かなくては何も変えられはしないのだ。
「……言われなくとも頑張りますか」
 見回りのあとはユニットでのレッスンが待っている。指定場所の音楽室に向かって俺もゆっくりと歩き始めた。



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