衣装のデザインを描くときは、音楽を聴いていることが多い。
 完成した衣装を着ることになるアイドルも、これを作る私自身もまだ学生であり、学院所属なのでメインの活動は校内を中心に行うことになる。ミュージックビデオを撮るほど本格的ではない。新曲の発表は校内のライブで行われ、それに合わせて衣装を用意することが多かった。どんな歌詞か、ライブはどのような演出にするのか。それらを聞いたうえで送られてきた新曲の音源を音楽プレーヤーに落として、リピートで再生する。そうしているうちにイメージは膨らんでくるので、浮かんだものは忘れないうちに持ち歩いているスケッチブックに描き留めるようにしていた。
 椅子に座って机の上で、というスタイルが一番描き易いのだけれど、生憎レッスンルームや体育館など、出先では机のない環境の方が多い。その為、少々お行儀は悪いのだけれども地べたに蹲るようにしながら鉛筆を走らせることになる。
 布は何を使うか、装飾はどうするのか、頭に浮かぶまま詳細を書き連ねていると、つむじのあたりに妙な圧力を感じた。
「ここ、下痢ツボなんだって」
「ありがとうございます、便秘気味なので助かります」
「なんなのその態度、超うっざぁい! あんたの腸の情報とか最高にいらないんだけど!」
 自分からやっておいてこの言い草である。
イヤホンを外して顔を上げると、不機嫌そうな顔をした瀬名先輩は目の前の椅子にどかりと座り込んだ。モデルだけあって、足を組むのも様になっている。
 音楽プレーヤーの再生を止めて再び顔をあげると、アイスブルーの冷えた瞳は何かを待っているようにも見えた。どうしてかこの人は、私に話しかけるのに毎回こういったくだらないワンアクションを必要とするようだった。何を気にしているのかは知らないけれど、普通に話しかけてくればいいのにと思う。
「なにかご用ですか」
 そう問いかけながら視線はスケッチブックへと戻した。妙にインパクトのある登場をされたせいで飛びかけた発想を捕まえてスケッチブックに縫い止める作業に入る。

 しかし、それからしばらく瀬名先輩からの返事はなかった。視界の端で組まれた足の膝を、細い指が何度か叩いている。
この人の会話の間の取り方は独特だった。横暴で一方的でもあれば、相手の出方を窺っているようにも思える。私も間の取り方は長いという自覚があるし、気も短くはないと思うのでこういった沈黙をさほど苦には感じなかった。
沈黙は無音でいても無表情ではない。先輩の身体から、何かを逡巡するような気配が空気を通して伝わってくる。時折、無言は言葉よりも雄弁に感情を語る。
揃いの衣装もいいけれど、それぞれで微妙にデザインを変えるのも悪くないかもしれない。鉛筆を動かそうとした瞬間、空気が動きだす気配がした。
「……ゆうくんは、元気?」
「いつも通り、スバルくんや北斗くんと楽しそうにやってますよ」
「あっそ」
「というか、私に聞かなくても先輩が直接聞けばいいじゃないですか」
「だってゆうくん、俺を見ると嫌な顔するじゃない」
わかっていたのかと驚きのあまり顔を上げると、先輩とばっちり目が合ってしまった。思った事がそのまま顔に出ていたのだろう。瀬名先輩は不機嫌そうに口を開く。
「なんなのその顔。ていうか、俺がそこまで空気読めない馬鹿だと思ってたワケ!?」
正直に言えば初めて見た時、先輩の遊木くんへの執着ぶりは狂気の沙汰としか思えなかった。発言も行動も常軌を逸している。遊木くんと知り合ったばかりの頃なんかは、先輩は異常なまでに私を警戒していた。
害がないと判断されたのか、そもそも警戒するにも値しないと見做されたのかは知らないけれど、気が付けばいつの間にかこうして普通に会話するようになっている。
「いや、だって先輩、遊木くん見つけると頭のネジ飛ばすじゃないですか」
「飛ばしてないし。嬉しいだけだし。仕方ないでしょ、ゆうくんは可愛いんだから」
 ゆうくんは可愛い。それこそ何度も聞いた言葉ではあるけれど、妙な切実さを感じさせる響きがあったのは気のせいだろうか。
「でもそれで嫌がられてちゃ、あまり意味がないのではないかと思うんですが……」
「嫌がってる?」
「ええ、まぁ、生理的に無理とか、気持ち悪いとか、色々」
「そう。ならよかった」
 先輩の言葉に私は思わず耳を疑った。私が知らないだけで世の中にはたくさんの愛の形があるのだろうけれど、好いている相手に嫌われて嬉しいというのはかなり特殊な形ではないだろうか。私は好きな相手には嫌われたくないし、実際そういう態度を取られたら落ち込んでしまうと思う。
 瀬名先輩はやっぱりちょっと変わってる、そう思いかけたことを私は少し後悔することになる。
「……あの子、他人に否定的なこと言えないでしょ」
「あ、」
 思い返してみれば確かにそうだ。彼はたまに自虐的なネタで笑いを取ろうとするけれど、誰かを落としたり貶したりするようなことは決してなかった。というより、それを恐れているようにさえ感じることも度々ある。何かを躊躇って、飲み込んでしまう彼を見たのは一度や二度ではなかった。
「臆病だからねぇ、いつか自分が言った言葉が回りまわって自分のことを刺すのにビビッてんの。そのせいで思ったことも言えなくて、しんどくてもへらへら笑ってて、馬鹿みたいでしょ?」
 一緒に生徒会と戦った間柄とは言え、私は彼と出会ってまだ半年と経っていない。キッズモデルをしていた時に何かあって酷く傷付いたらしい、ということは知っているのだけれど、その仔細までは把握していなかったし、簡単に聞けるようなことにも思えなかった。
 瀬名先輩は遊木くんとは昔からの付き合いのようであるから、その件についても詳しく知っているのだろう。
「ゆうくんはほんと、馬鹿なの。馬鹿だから、自分を平気で利用したり傷付けるような奴等にまでまともに向き合おうとして、バラバラになっちゃったの。どうしようもないでしょ?
 でもね、ゆうくんを傷付けた奴等はゆうくんよりもっと、救いようのない馬鹿だった。あんなのがのうのうと息してると思うと虫酸が走るよねぇ。あーあ、どっかで死んでてくんないかなぁ」
「それはいくらなんでも言い過ぎなんじゃ」
 ないですか。そう続けようとしたけれど、瀬名先輩から発せられる静電気のようにぴりぴりとした空気に私はなにも言えなくなってしまう。
「言い過ぎじゃない。間違ってもない。間違ってるっていうならそれは世の中の方でしょ。 あの子が傷付いて悲しみも押し殺していなきゃならない世界なら、俺は絶対に許したりなんかしない」
 瀬名先輩は私を見つめながら、私ではない何かを睨んでいた。髪も瞳もそして選ぶ言葉でさえも冷たい先輩だけれど、遊木くんが関わることで瀬名先輩の世界は一気に温度を上げる。遊木くんが飲み込んでしまう毒や牙を、瀬名先輩は構うことなく外に向けた。黙って殴られ続けることを遊木くん本人が許したとしても、瀬名先輩が許さない。
他の何を傷付けてでも遊木くんを優先する先輩を、正しいとは思えなかった。だけど間違っているとも言いたくなかった。それだけ誰かを想える先輩を、少しだけ羨ましいと思った。
「そんなに遊木くんが大事なら、なんで嫌われるってわかってあんなことばっかりしてるんですか」
「だからさっきも言ったでしょ? ゆうくんは可愛いから傍にいるだけでテンションあがるし、ていうか傍に居なくても想像するだけで嬉しくなるんだけど、」
「うわぁ」
「あの子が嫌いってはっきり言えるの、俺だけなの。誰も否定できないゆうくんに、俺だけが許されてることなの」
 わかるような、よく解らないような。どうしてか満ち足りた表情で瀬名先輩はやわらかく微笑んでいた。
 恋と呼ぶにはあまりにも頑なで、愛と言うには随分不安定だと思った。極端に、鋭く、揺れながら、瀬名先輩の遊木くんへの想いは多くの感情を内包している。

 恋愛感情はもっとシンプルなものだと思っていた。相手を好きだと、一緒に居たいと思うような気持ちばかりで出来ていると思っていたのに、どうやら複雑怪奇な構造を以てして数多の人間を蝕んでいるようだ。
「ということだから、あんたもゆうくんに手ぇ出すようならただじゃおかないから」
「だから、出しませんってば」
 というか、これだけ見せつけられては手を出したところで先輩に敵う気が一ミリもしない。それを分かって始めるなら負け戦でしかないし、そもそも遊木くんは勿論、他の人にだって甘い感情を抱いたことは一度もない。
「ふーん。じゃ、俺とゆうくんのキューピットになれば?」
「人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られてなんとやら、ですよ。余計なことはしたくないので、陰ながら先輩の想いの成就を祈っておきます」
「嘘ついたら針千本ほんとに飲ますからね」
「先輩が言うと冗談に聞こえないのでやめてください」
 それだけ言い切ると瀬名先輩は満足したのか、立ち上がって何処かにいってしまった。
嵐のような人だ、そう思いながらイメージデザインの作業に戻ることにする。ほぼ完成していた絵に細やかな修正を入れようとしたところで、ふと手が止まった。
 さっきとはまた別のデザインが浮かんだのだ。消してしまうのは勿体ないので、スケッチブックのページを捲り、新しい紙に思いつくまま書きなぐっていく。

 先輩は私に恋のキューピットになれと言ったけれど、私がどうこうしなくてもあの様子なら、先輩の気持ちが分かり易い形で遊木くんに伝わるのなら、そう悪い方には転ばないんじゃないかと思う。先輩にも言ったとおり人の恋路に首を突っ込むのは好きではないし、何より人の気持ちを上手く動かせるほど私は器用でもなかった。
 私に出来ることは、そんなに多くはない。彼等のように歌唱やダンスの技術もなければ、人を魅了する才能も持っていない。それでも無力ではないし、黙って座っていられるほどお利口でもなかった。
『言い過ぎじゃない。間違ってもない。間違ってるっていうならそれは世の中の方でしょ。 あの子が傷付いて悲しみも押し殺していなきゃならない世界なら、俺は絶対に許したりなんかしない』
 正しい在り方に沿えない心は存在してはならないだろうか。それに否定の言葉をくれたのが、先輩も含むこの学院のアイドルたちだった。強大な正しさに沿えなくてもいい、どうか心を殺さないで、足掻いて、自分の居場所を守る為に戦うことは決して間違いではないはずだ。それを教えてくれた人たちに私は何を返せるだろう。彼等と同じ場所に私は居ない。直接人の心を動かす力はなくとも、彼等が最高のコンディションで自分の全てを放出するための舞台を整えることはできる。その為だったら、私はなんだってしよう。
だから、ラブソングでもロックでもバラードでも、好きな歌を好きなように歌って欲しい。それが彼等の好きなひとに、彼等を愛するひとたちに響いてキラーチューンになる。
 間違って躓いて傷付いてもがいて苦しんで、それでも何かを信じて放つあなたたちがいつまでも輝いていますように。その光がいつまでも続きますように。そう願って、叶うように尽力するのが私の愛の形ということで、どうかひとつ手を打って貰えないだろうか。

 二枚目のデザイン画が出来上がった瞬間、床の上に置きっぱなしだったスマートフォンが震えた。光を放つ画面には衣装作成の依頼をくれたユニットのリーダーの名前が浮かんでいる。鉛筆に擦れて黒くなった手のまま画面をスライドして通話の文字をタップする。
「お疲れ様です。丁度デザインが出来上がったところでした。はい、今からですか? 大丈夫です。ええ、今回のはちょっと自信作なんです。はい、じゃあ十八時にレッスンルームでお待ちしてますね、月永先輩」

 今回の新曲はR&Bやダンスチューンの多いknightsでは珍しい、ラブソングである。ユニットのイメージは残して衣装はタイトに、それぞれメンバーに合わせて少しだけアレンジを入れる。そして瀬名先輩の衣装には、誰かさんのイメージカラーである緑を差し色として少しだけ入れておいた。
 プロデューサーが私情を挟むなんて、と椚先生あたりなら小言をくれそうだけれど、少しばかり見逃して貰いたい。恋も憂いも胸に抱えたまま輝きに変えてしまう彼等の眩しい後ろ姿を、私はいつまでも目を眇めて見つめていたいのだ。



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