目まぐるしくも眩い光の洪水に飲み込まれている。淡い金色にも思える光の差すステージを、私は目を眇めながら見上げていた。

 fineというユニットのステージを見たのは初めてなのにも関わらず、このユニットこそが学院最強を名乗るに相応しいと私は確信していた。絢爛な彼等の衣装も、華やかで優雅なパフォーマンスも、演出も、完璧に美しくて眩いのだ。彼等を見ていると胸が躍り、足元がふわふわとしてくる。それは大型遊園地や、テーマパークに向かう時の心境にもよく似ていた。明確な目的があるわけでもない、けれどそこに行けば必ず胸を震わせる驚きや、楽しみ、喜びが待っている。
ぴたりと揃う振付と呼吸が不安を感じさせない。何かのアクシデントがあったとしても、彼等ならばそれを瞬時に別の期待へと昇華してくれるのではないかとさえ思える。頭をからっぽにしてパフォーマンスを楽しんでいられる。
約束された幸福への安心感を齎してくれる、それがfineの作り上げるステージであった。生徒会長である天祥院先輩の絶えない柔らかな笑みは、その安心感を確かに信じてもいいものなのだと肯定してくれているようである。日々樹先輩の白のシルクハットからは鳩が何匹も飛び出し、観客の上空を羽ばたいていった。鳩の散らす白い羽がゆっくりと揺れながら鼻の先にまで降りてきた。それを摘まんでポケットに押し込む。
完璧なステージだと思った。私自身も高揚を隠せないし、周囲の生徒たちもステージに釘づけになったままペンライトを振っていた。その殆どが満点を示す虹色に輝いており、そうでなくとも高得点を意味する色が浮かんでいる。そうさせるだけの実力がfineにはあるのだ、何もおかしなことではない。

それならば、この熱気と興奮に伴う僅かに後ろ暗い空気は一体なんなのだろう。
虹色に眩くて、皆楽しんでいる。それは間違いないはずなのに、なぜかこの肌は重たい空気を感じ取っている。隣の席のクラスメイトを横目で見る。少々幼さの残る顔立ちの彼は、先程から浮かべていた笑顔を一瞬消して、固い表情のままペンライトのダイヤルを回していた。彼のペンライトも例外に漏れず十点の虹色を灯し始める。歓声に飲まれないよう、周りの邪魔をしないよう、声量に気を遣って彼に話しかけていた。
「fineって、すごいね。殆ど全員のペンライトが虹色だ」
 彼は興奮を隠しきれないようで、大きな声と身振り手振りで私に反応を返してくれた。
「そりゃそうだよ。君もこのステージを見てたならわかるだろ? 彼等はすごいよ、こんなに引き込まれるステージをやれるユニット、今の学院にはいないよ!」
 過去にどんなライブをやっただとか、彼は簡単に、そして熱く語ってくれたのだけれど、途中でその大袈裟な動きがぴたりと止まってしまった。何かあったのかと覗き込むと、苦い表情のまま彼は唇を噛みしめているのだ。先程までの嬉々とした表情が突然変わってしまったことに驚いていると、彼は絞り出すように声をだした。
「……fineがすごいのはわかってるんだ。あのステージに見合うだけの練習も努力も、してるんだと思うよ。誰に強制されるんじゃなくて、自分たちで望んであのステージを作ってる。学院も、そういうユニットやアイドルが欲しいんだろうなっていうのも、わかるんだ。
 でも、なんだろ、心がすごくぐちゃぐちゃになるんだ。fineのライブは楽しいし、尊敬だってしてるけど、それと俺がどういうアイドルになりたいかっていうのは別の話なんだ。
 でもこの学院からアイドルになって芸能界でそこそこやってくには、学院の意志に沿わなきゃいけない。fineが一番だって言わなきゃいけなくて、一番だとも思ってて、でも本当はそんなこと思ってなんかないんだよ。俺がなりたいと思い描いて目指してるアイドル像だって、fineに負けてないはずなんだ。
 ――なんだろな、これ。自分で言っててわけわかんないや」
 彼は笑ってこの話を押し流そうとしたけれど、胸の内に残る苦しみを表情から消しきれていなかった。

彼の言葉を頭の中で繰り返しながら、私は黙って手のひらのペンライトを見つめていた。白い陶器のような触り心地の柄の部分には金色の装飾が施されている。光の点かない状態のペンライトは薄い水色で、それはfineの衣装を思い出させた。
氷鷹君は、この学院の在り方は間違っていると言った。
クラスメイトの彼は、苦しいのだと彼の全てが伝えていた。
B1の最後に現れた生徒会の一年生は、集まっていた生徒たちを劣等生と呼んだ。
何が正しくて、何が間違っているのかを、私は今まで真剣に考えたことなんかなかった。正しいことは今まで正しさから外れずに真面目に生きてきた人たちが決めることであって、私みたいな半端者は何かが間違っているだなんて口にしてはいけないように思っていた。
いつかの朔間先輩は、それを歪つだと笑った。誰かに共感するふりだけをして、他人に与えるはずの傷を自分に回して生きることがおぬしの正しさなのかと問うた。

 私にはすぐに他人に共感しようとしてしまう、どうしようもない癖があった。たくさんの人から話を聞けば聞くほど、泥濘にはまっていく。
 氷鷹君の掲げる革命も、感情の板挟みになっているクラスメイトの彼も、全力で自分たちのやり方を貫くfineも、誰も間違っているとは思えなかった。
 きつく唇を結んだまま、私はペンライトを睨みつけている。fineのステージは素晴らしかった。それなのに、私はどうしてもダイヤルを回す気にはなれなかったのだ。
「転校生?」
 隣の彼は心配そうに声をかけてくれている。
「……大丈夫、なんでもないの」
 いつの間にか、fineのステージは終わっていた。興奮の抜けきらない生徒たちのざわめきで講堂は満たされている。そろそろペンライトの光を消し始める頃、ステージの上で先程までパフォーマンスをしていた天祥院先輩が柔らかく笑んだまま口を開いた。
 天祥院先輩が話しはじめる。それだけで彼の足元から透明な波紋が広がるように空気が変わっていく。
「ライトはまだ消さないで。どうやら僕等の評価をしていない子が一人、いるみたいだから」
 言葉尻は笑顔同様に柔らかであったけれど、背中が一瞬にしてぞくりと粟立った。もしかして、私のこと言っているのだろうか。いや、こんなに広い講堂で、彼は先程までパフォーマンスを披露していたはずだ。私のことなんか視界は勿論意識のうちにも入っていないはずだ。嫌な汗が流れるのが分かる。私の動揺が伝染してか、同じく状況を知る隣のクラスメイトまで顔を青くしている。
 思わず顔を上げてステージを見ると、青い瞳と目があった。身体が震えあがるのが自分でもわかる。私はこの柔和な笑顔を浮かべる人が、やさしいだけの人間ではないことを知っている。だからこそ、彼は一番自分が無防備に見える瞬間を狙って私に牙を向けているのだ。
「わかってないのかな? 転校生ちゃん、君のことだよ」
 全校生徒の視線が一瞬にして自分に向けられるのがわかった。ただの視線のはずなのに、それらは明確な意志を持って私を貫く。何やってんだよ、馬鹿だなぁ、へぇ、これが転校生か、等々、視線は雄弁に生徒たちの感情を語っていた。身動きひとつ取れないまま、私はステージの天祥院先輩を見つめていた。雰囲気も持つ色もなにもかもがやわらかいのに、どうしてかこの人は底冷えするような毒を放つ。
「何やってんだよ転校生、早くダイヤル回せって!」
隣の彼は慌てながら、私に今すぐダイヤルを回すように囁いた。
 それでも私の手は動かない。怖いんじゃない。いや、それも理由の一部に僅か混じっているのかもしれないけれど、私は自分の意志でこうなった今でもこのペンライトに色をつけないでいる。
 強張った顔のまま唇を噛みしめている私に向かって、天祥院先輩は悲しそうに言ってみせる。
「僕たちのパフォーマンスは評価に値しないってことかな?」
「……違い、ます」
 震える喉はそれを絞り出すので精一杯だった。
今までの人生で、こんなに沢山の人に視線を向けられたことがあっただろうか。そんなこと一度もなかったし、此処は檀上ですらない。視線を集める為に作られてもいない、ステージより何メートルも低いこの場所が、今の私の戦場だった。
 私の答えを聞いた天祥院先輩はそれなら、と笑みを浮かべて言葉を続ける。
「僕達fine専属のプロデューサーにならない? 君にとっての実りも多いと思うのだけれど」
 ああ、このひとは本当にやさしくない。そんなこと、今この場所で聞かなくてもいいじゃないか。この人はfineにプロデューサーとしての所属を求めているんじゃない。私がこの学院に対して、どういう立ち位置を取るつもりなのかと問うているのだ。逃げられないように、全校生徒の前で、だ。
 私がプロデューサーとして所属したところでfineにとっての利益は、雑用係が増える程度の微々たるものかもしれない。それでも学院の意志の象徴のような生徒会精鋭のユニット所属となれば今後の進路等、恩恵を多く受けられるであろうことは明白であった。
 
 気持ちを落ち着ける為に大きく息を吸う。
 最初は、アイドルになんて興味がなかった。プロデューサーになりたい訳でも、そもそも望んでこの学院に来たわけでもない。
 前の学校の掲げる方針に沿えず、権力に弾かれるようにして此処にやってきた。友人たちはまだ、あの学校を変える為に奔走しているのだろう。それならば私も、他の誰の為でもなく自分の為に戦うべきだと思った。何と戦うのか、と問われたならばこう返すしかない。今まで正しさの判断を誰かに預けてきた自分と、だ。そうでなければ彼女たちに合わせる顔が無い。
 言葉を組み立てるのに時間を要する性質のためか、会話に妙な間が空くことが多々あった。沈黙に耐えかねたのかはわからない。この滞った空気を動かしたのは思いもよらない人物だった。
「んもう、奴隷二号のくせに何考え込んでるの? はやく会長の手を取れって言ってるの! ほんっと鈍くさいんだから!」
 怒った素振りで私を指さしたのは生徒会の一年生の姫宮君だった。確か、彼とは一度だけ食堂で話したことがある。まごついている彼に食券の買い方を教えると、そんなの知ってるんだから! と怒られたことがあった。それでも小さな声で恥ずかしそうに貸しひとつだからな、と言われたことも覚えている。
 私を睨む彼の表情には少しの困惑と苛立ちが混じっていた。食堂での貸しひとつ分を返そうと、彼なりに助け舟を出してくれているのかもしれない。早くこっちに来いと、そうすれば余計な苦労はしないのだと彼の目線が訴えている。
 素直な子だと思った。余計な世話を焼いただけでしかない私にそこまで気を遣うこともないのに、とも。

 それでも私はfineを、生徒会を選ばない。
 私を睨む姫宮君にゆっくり微笑みかけると、その表情はぐにゃりと揺らいでしまった。
「ほんとに、ばかなやつ」
姫宮君は小さく唇を動かした。ごめんなさい、ありがとう、いつか君ともゆっくり話が出来たらいいのに。
 そのまま私は覚悟を決めて口を開いた。
「……折角のお誘いではあるのですが、謹んで辞退させていただきたく思います」
 私の答えに一瞬にしてざわめきが広がった。クラスメイトの彼は金魚のように口をはくはくと動かしているのだけれど、こればっかりはどうしようもない。

 私はfineのステージを見て確信したのだ。あの舞台の上で表現者である貴方たちアイドルは、誰よりも自由でなければならないと思った。自分の一番好きだと、魅力的だと、信じられる自分で居て欲しいと思った。
 そして彼等は表現者でありながら、観客でもある。
 寒い日にあたたかいスープを、暑い日に冷たい水を求めるように、私達は心の望むものを選んでいいはずだ。悲しい時は、切ないバラードが聴きたくなる。気分を上げたい時は、ロックが聴きたくなる。その時一番に欲しいものを欲しいと、好きな物を好きだと言うことは間違っていないはずだ。
 ステージ上での彼等のパフォーマンスや在り方は、数学の答えなんかじゃない。一つの正しい像と感情を押し付けることを、私は正しいとは思わない。
 何より、こんなに自分の夢に一途に一生懸命な人たちが腐っていくところを私は見たくなんかないのだ。何もない、何にもなれない私だけれど、此処に居たら彼等から溢れるように零れるきらきらのお裾分けで自分も少しは輝けるのではないかと、そう思わせてくれた。だから、自分に出来ることでそれに報いたいと思ったのだ。
 
 ざわつく講堂の中、天祥院先輩だけがこの瞬間を待っていたとでもいうように嬉々とした笑みを浮かべている。
「――それで、凡庸でしかない君に一体なにができるの?」
 ごもっともだ、私にはプロデューサーとしての知識も経験もない。
「君に、何が変えられるの?」
 私には世界をひっくり返すだけの力もない。時々雪が降ったり嵐がやってきたりするけれど、それでも明日はやってくる。世界は簡単には変わらない。それを私は充分知っている。
 それでも、自分の目に映る世界を変えることは出来る。此処にいる人たちは、そうさせるだけの力があるはずだ。眩いステージで、観客を別の世界へ連れていくことが出来る。私はそんな彼等の手助けがしたい。
 天祥院先輩に続いて、姫宮君が私を見下ろすように視線を送る。
「此処にいるのは、首輪つきの家畜と雑草だけだよ」
 姫宮君の冷静な声が響いた。その言葉に多くの生徒が唇を噛みしめて俯いてしまう。

「……家畜じゃない、雑草なんかじゃない」
 喉の奥が燃えるように熱くて、言葉が詰まりそうになる。それでも、言わなくてはならない。
「貴方たちが家畜と呼んでも、私は彼等をアイドルと呼ぶ。雑草なんかじゃない、此処にいる人たちは誰かの世界を変えられる人たちだ」
 震える声で言葉は吐き出される。何かに、自分自身で反抗するというのはこんなに怖いことだということも私は知らなかった。
 手のひらをきつく握り締めていると、講堂の後ろの扉が大きな音を立てて開いた。ステージ以外の照明が落とされている暗い講堂に対して、扉の向こうは白く眩しい。一体誰なんだろう。目を眇めていると、汗をかいて息を切らした氷鷹君が、私の元まで走ってくる。
 彼はfineの直前までステージに立っていたはずだった。その証拠に余程慌てていたんだろう、上は制服のジャケットなのにズボンがTrickstarのステージ衣装のままだ。
「――転校生、大丈夫か? 全くいきなり何を言い出すのかと」
「氷鷹君、ズボン、ステージ衣装のままだよ」
「今はそんなことどうだっていいだろう」
 そうは言うものの少しだけ恥ずかしそうに顔を赤らめている。
「もー、ホッケーってば着替えも終わってないのに一人で飛び出していくんだから」
「驚いたけどさ、転校生ちゃん、ちょっとカッコ良かったよ」
 遅れて講堂の後ろから明星君と遊木君が入ってくる。
 ああ、私一人じゃなかった。最初は私の立ち位置を上手く利用したかっただけなのかもしれない。それでも、この人たちは放り込まれた石ころみたいな私に居場所をくれた人たちだ。顔を見ていると不甲斐ないことに安心して涙が出そうになったけれど、今はまだ泣いている場合なんかじゃないのだ。
「あそこまで転校生に言わせておいて、俺達が今まで通り居るわけにもいかないだろう」
 氷鷹君はステージの上を射るように見据える。
 如何様な敵意の視線も、どうしてか天祥院先輩には意味を成さないように思えた。どうしてか、あの人はこの状況を待ち望み、楽しんでいるようにも見えるのだ。
「――La liberte ou la mort.」
 歌うように日々樹先輩は言葉を紡ぐ。
「amazing! やはり人生は歌劇のようにあるべきですね。英智、これも貴方の望んだ展開でしょうか?」
「予想以上、かな」
 大袈裟な言葉と振る舞いの日々樹先輩を軽くあしらって、何も変わらないものがあるという象徴のように、天祥院先輩は悠然と微笑むのだ。
「いつか君が起こした波紋が、回りに回って僕を殺すのかもしれないね」
 混沌とした空気の中、私を濁流に飛び込ませた張本人は静かな言葉だけを残してステージから去っていった。なんだか気が抜けてしまって、ずっと握り締めていた手のひらを開く。その中にはまだ何色にも染まっていない、透明な石の欠片が一粒残っていた。

 
 



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