ステージを囲むように作られた観客席に向かって指をさした。揺れるサイリウムの光を愛でるようにゆっくりとなぞっていく。この光は、自分がどれだけ愛されているかの証明だ。たまたま目が合った子の胸を撃ち抜く素振りを見せれば、その近辺の女の子たちから黄色い悲鳴が上がった。アクションを起こせば、必ず反応が返って来る。だから家の自室よりも教室よりも俺はステージの上が好きだし、一番落ち着いた。此処に立っている限り、俺は誰かに愛され続ける。俺は彼女らの偶像で、彼女らもまた俺にとっての愛情の偶像だった。若さも才能も愛情も消耗品ならば、アイドルというのは俺にとっての天職なのかもしれない。どれかが無くなるまではステージに立っていられる。立っていられなくなったとしても、俺はまた何処かでステージに代わる場所を見つけるのだろう。ギブアンドテイクで愛される為の居場所は多分、この他にも多く存在するはずだ。


 練習も設営もうんざりするくらい時間を重ねるというのに、ライブの時間というのは瞬く間に過ぎていく。今回はユニットではなく、朔間さんとのコンビで依頼されたステージだったから余計に早く終わってしまった。
そもそも、今日は主役としてステージに立ったわけではない。年に数度行われる、新設ユニットたちのお披露目ライブの前座だった。
うちの学院ではユニットの結成や解散についての制限が特に設けられていない。その理由に関しては、生徒の人員が頻繁に減っていくところが大きいのだろう。三年は卒業していくし、様々な理由で転科や転校とアイドル科を去っていく生徒は多かった。そうでなくても、こんな面倒臭い思春期のガキの集まりなのだ。芸能界で正式にデビューしているわけでもないから、重圧や責任も大したものではない。喧嘩別れや方向性の違いで解散していくユニットも多い。流星隊やknightsのように代を経て長く続く珍しいユニットもあるが、大抵は星の光の如く瞬きのうちに消えていく。

 それでもその瞬きに価値を見出す物好きは一定数いるようで、芸能界のアイドルでなく、この夢ノ咲のアイドルに拘って追いかけるファンというのも存在した。業界に出て大成するかもわからない上に明日には居なくなっているかもしれない奴を追いかける気持ちが俺にはよく解らないのだけど、好いて貰えるのならばまぁ結構なことだ。
 今日はそんな夢ノ咲のアイドルファンの為の秋の新設ユニットライブで、俺達はそれの客寄せパンダの役だった。新設ユニットにそれなりに人気で知名度がある奴が混じっていれば良かったのだけど、生憎今回のユニットはどこも全員一年生による編成である。ただの集客の仕事ならばうちの後輩たちに任せておきたいところなのだけど、今回はこのライブのプロデュースにあんずちゃんが参加するということで、腰の重たい朔間さんを無理矢理連れての参加となったというわけだ。
 昼間のライブということで朔間さんはあまり乗り気ではなかったのだけれど、流石は三奇人と言おうか。ステージに立てば憂鬱な素振りを一切見せることなく、見事アイドルの朔間零を演じステージを終えていた。
 しかし案の定と言おうか、ステージから降りると俺の背中に凭れ掛かり小さな呻き声を上げている。
「ちょっと朔間さん、男にべたべたされても嬉しくないから離れてくれない?」
「うう、無理じゃ……薫くん、控室まで運んでおくれ」
 自分の我儘で付き合わせたという自覚は一応ある。控室に連れて行ってそれからあんずちゃんを探しに行こうと思った矢先、ステージ下のモニター近くから怒鳴り声が飛んでくる。

「だから、順番的にも次の俺等のユニットが出るって言ってんだろ!」
「はぁ? お前等さ、自分たちのユニットの評価点数何点だったか分かって言ってる? 平均より下だったよな? そんなユニットにフォローなんて任せられませんよね、プロデューサーさん?」

 出番の直前だというのに、なにやら揉め事のようだ。学院専属のスタッフさんたちは苦い笑顔を浮かべてアイドルたちの様子を見ている。
「……あれ、何やってるんですか?」
「最初の出演予定だったユニットが渋滞に巻き込まれててね、まだ来てないんだよ。多分あと十五分くらいで到着してステージには立てると思うんだけど、そのフォローをどうするかっていうのでどうも一年生同士揉めてるみたいだね」
 そこまで聞いて納得がいった。うちの一年共が何やら殺気立っているのは多分、先日のknightsの内輪揉めことジャッジメントの影響もあるのだろう。俺は直接観に行ったわけではないから噂で聞いただけなのだが、何でも一年の朱桜司が三年の王様こと月永レオに対して随分奮戦したらしく、その実力への評価は一瞬にして学院内に広まった。更にあの生徒会長までもが、彼に対して『そのうち化けるのでは』という言葉を残したものだから、最近の学院の一年たちは妙に闘争心に燃えているようだった。
 その辺はどうだっていいし、好きなようにやってくれといったところなのだけど、それであんずちゃんに迷惑が及ぶのなら話は別である。
 顔を真っ赤にしている数人よりも評価が高いらしいユニットのリーダーはプロデューサーの後押しを得たいらしくあんずちゃんに話を振っていた。普段は冷静であまり感情を出さない彼女であるが、今は困惑と苛立ちが滲んで見える。大きく溜息を吐いて、彼女は口を開いた。
「……どちらも、落ち着いて聞いて欲しいのだけど」
「どうせあんたは評価の高い方選ぶんだろ? なにせあのTrickeStarをあそこまで引っ張って今じゃ他の強豪ユニットからも気に入られてるらしいもんな」
「当たり前だろ? さ、プロデューサーさん、指示をお願いします」
 どちらのユニットもまるで彼女の話を聞く気がないようだった。というか先程の彼等の言い草は、彼女を気に掛けている身としては腹立たしく感じるのも事実だ。
すると背中に凭れていたはずの朔間さんの重みがいつの間にか消えていて、背中をぽんと押されていた。
「彼等もちと熱くなりすぎて周りが見えていないだけじゃ。青臭いが自分の夢に対して情熱的な証拠でもある、薫くん、くれぐれも穏便にな?」
「……はいはい、リーダーの仰せのままに」
 ゆっくりとモニター前に近付いていくと、あんずちゃんと目が合った。ウインクを飛ばしてみても、彼女は露骨にうんざりとしたような表情を見せるだけだった。嫌われてるなぁ。明らかに脈の無い子より、こっちに興味を示してる子の方が近付きやすいし優しいのに、どうしてこんなことしてるのか自分でもよくわからないのだけど。
「音響さんに俺のソロ曲の音源あるか聞けます?」
「はい、すぐ確認しますね」
 すぐにインカムで連絡を始めるスタッフさんに、そこに居た全員が気付いたようだった。
「大丈夫、ありますって!」
「そう。じゃあ少し喋ったら合図するんで、そしたら曲を流してください。一曲とトークで、ステージの切り替えも入れれば一番手のユニットが来るまで間は持つかな、プロデューサーさん?」
 驚いたように顔を上げた彼女にゆっくりと微笑んでみせる。躍起になってフォローの出番を争っていた一年生たちは、横から出番をかすめ取った俺に怒ったように食ってかかってくる。
「なんで、あんたが……さっきもステージに出てただろ!?」
「はいはい、俺は別にどうでもいいけどさ、その強張った赤ら顔をファンの子たちに見せれるの? さすがにドン引きじゃない?」
そう言われてようやく自分たちの表情を思い出したのか、顔に手を当てて彼等は黙り込んでしまった。それを見てもう一つのユニットがすかさず声を上げる。
「それなら俺達が」
「駄目。君たちも全然冷静じゃないから、ステージで転んで恥かくのがいいとこかな? あのねぇ、フォローの意味分かってる? 相手の出番をふんだくるんじゃなくて、ステージを次に繋げるのがフォローなの。それが分かんないようならどっちのユニットもステージにはあげられないかな。今回は俺のカッコいいステージを指咥えて見ててよね」
 そうしている間に俺が立つ為のステージの準備は整ったようだった。スタッフさんがスタンバイ完了のサインを送ってきている。
「……あの、羽風先輩!」
 俺を見るいつもの冷たい視線は何処にもなくて、色んな感情に瞳を揺らしているあんずちゃんがいた。ああ、ちょっとは見直して貰えたのかな。いつもちょっと迷惑そうな顔ばかりさせていたから、この顔が見られただけで此処に来た意味はあったかもしれない。
「お礼はデートでいいよ。その代わり、最後までしっかり見ててよね」
 彼女の返事を聞く前に、階段を蹴って眩いステージへと駆け上がった。
 スポットライトが自分に集中するのがわかる。ファンの子たちの歓声と、それに混じって少しのどよめきが聞こえた。確かに俺は前座だけで終わりのはずだから、このステージが予定通り進んでいないことが伝わってしまうだろう。それでもこの場を次に繋げるのが今の俺の仕事だ。こういう時に自分が口達者であることに深く感謝する。
「本当はさっきで終わりのはずだったんだけど、あれだけじゃ皆の顔見足りなくて、寂しくて来ちゃった」
 笑い声と、悲鳴のような歓声が響いた。足元から声と感情が波紋のように響いて伝播するから、ライブ中はいつも海にいるような気分になる。喋るタイミングを読むのは、波を読むことに少し似ている。
「でもさ、皆も俺のこと好きでしょ?」
 笑い声と、好きという素直なレスポンス。えー、という少し冗談交じりの声。
「好きな人は、もっと俺のこと好きになって。あんまりって人も俺の事好きにさせるから。ってことで、この間のライブでしかお披露目してないソロ曲、最後まで聴いてってね」

 曲のイントロが始まる。今回の俺の曲はダンスが結構激しくて、練習に随分時間を費やした。この曲を持ってきてくれたのがあんずちゃんなのだけど、どうやら見栄っ張りな俺の性格を見越してのことだったらしい。ステージの上ではカッコよく在りたいからミスなんかしたくないし、その為ならばあまり気は向かないのだけれど練習を重ねるしかない。文句を言いながらレッスン室で仰向けに倒れ込む俺に彼女はほんの少しだけ笑ってこう言った。
「でもこの曲、先輩に似合いますよ」
 単純だと思うのだけど、その言葉だけでスイッチが入ってしまう自分がいる。ダンスだけでなく、サビの部分に結構高い音域があるからそこはどうしても少し苦しくなる。でもそれは家の自室に居ると強く感じるものと違う、心地良い苦しさだ。海に潜って、水面に浮かぶ直前のような眩さと息苦しさ。
 家族から逃げて海に飛び込むように、人の沢山いるこの世界に飛び込んだ。何かが欲しかったはずなのだけど、それが何かは分からなくて、わからないまま他人にそれを要求した。人と繋がる中で覚えた耳触りの良い滑らかな言葉が自分の中にはいくつも積もっている。貰った分は俺も与えてあげる。そうして生きてきたけれど、俺の視線はどうしてか俺に何も与えてはくれない彼女を追いかける。君はどうしたら振り向いてくれるのだろう、誠意ってなんだろう。解らないから、とりあえず出来ることをするしかないのだけれど。

 気が付くと曲は終わっていて、割れんばかりの拍手と歓声が響いている。
 いつもより汗の量も多く息も切れていたけれど、不思議と心は満ち足りていた。手を振りながら、ステージから立ち去る。階段を降りた先に待っていてくれたのはあんずちゃんだった。
「はは、あんずちゃん待っててくれたんだ? どうだった、結構良かったと思うんだけど……」
 言葉はそこで途切れるしかなかった。いや、だって。まさか。俺は今、あんずちゃんに抱き着かれているのだ。今までの俺に対する彼女の態度を思えば、誰がこれを信じるだろうか。颯馬くんあたりなら、ついに現実と妄想の分別もつかなくなったのかと一蹴しそうだけれどこれは紛れもない事実だった。彼女の体温は確かに俺の胸の中にある。
 そんな俺の気も知らずに、あんずちゃんは労うように俺の背中をぽんぽんと叩いている。折角抱きしめられているっていうのに気の利いた台詞は出てこないし、抱きしめ返すことも出来なかった。
「結構じゃないです。最高でしたよ」
 それだけ言うと彼女はすぐに俺を離して、ようやく到着したユニットのメンバーのサポートに入ってしまう。
 俺はというと先程の衝撃に頭を殴られたまま、何も考えられずにいる。その癖見栄っ張りな性質は骨の髄まで沁みついているので、表面だけは平気な顔でステージの裏まで歩いていく。スタッフも誰もいないのを確認すると、その場に崩れ落ちるだけだった。
「……ッ!!?」
 さっきのあれは、本当に、なんだったんだろう。
彼女は今までそれこそ虫でも見るような冷たい目で俺を見ていたし、どれだけ耳触りの良い言葉を囁こうが靡く素振りも一切みせなかった。懐かない猫を手元に置いているような感覚でもどかしい思いをしていたのだけれど、まさかこんなに一気に近付いてくるとは。
 顔を覆ったまま床に転がっていると、背中に衝撃が走った。覆っていた手を開くと、怪訝な表情を浮かべた蓮巳くんが俺を見下ろしていた。腕には生徒会の腕章がある。見回りでもしてこんなところに来たのかもしれない。
「貴様、こんなところで一人でのた打ち回って何をしてるんだ気持ち悪い」
「えっ、聞きたい? 聞いてくれる?」
「……やめておこう。時間の無駄にしかならなさそうだ」
「嘘、お願い聞いて、俺の話聞いて」
「やめろ! わかったから足に絡みつくな!」
 蓮巳くんは眼鏡のブリッジを押し上げて大袈裟なため息を吐くと、視線だけで話を促した。すごく迷惑そうな顔をしているのだけど、俺としては誰かに話すことで早く実感を得たいという気持ちもある。
「あんずちゃんに、抱き着かれた」
「いいか羽風、病院に行け。頭のだ」
「いや、そう言いたい気持ちも分かるし俺も夢なんじゃないかなって思ってるんだけど、ちゃんと現実だった、から、動揺してる」
 語気がどんどん尻すぼみになっていくのが何とも情けなかったが、二度目の溜息を吐いた蓮巳くんの表情は先程より幾分か柔らかくなっていた。
「俺もモニターでだが先程のステージを見ていた。いつものお前より、鬼気迫る何かがあったのは確かだ。あんずはあれでいて意外と感銘を受けやすいところがあるからな、喧嘩祭の時も俺達紅月が勝って存続が確定した時は神崎に抱き着いていた」
「――え? なに、颯馬くんにも抱き着いてたの?」
「姫宮なんかは頻繁に逃げ込むように抱き着いているから、特に羽風に限定した特別な感情もないだろう。残念だったな」
 正直に言えば、俺の事を少しは好きになってくれたんじゃないかと期待をしていたのだけれど、現実そんな上手い話ばかりではないことは充分に知っている。それでも前より縮まった距離を喜ぶべきだろう。
 薄ら笑いを浮かべたままの俺を革靴の爪先で軽くつつきながら蓮巳くんは続ける。
「変わったのならお前の方だろう、羽風。不幸にも三年間同じクラスだったわけだが、昔のお前は自分に靡かない相手にしつこくアプローチはかけなかったと記憶している。今ではお前に媚びもしなければ懐きもしない猫にご執心のようだが、どういう風の吹き回しなんだかな」
 全く、度し難い。口癖を呟くと蓮巳くんは見回りに戻っていったようだった。

 彼の云う通り、どうしてこんなに彼女に拘るのか自分でもよく分かっていない。
 俺はたくさんの女の子を知っていて、その中には彼女よりも魅力的に思える子はいくらでもいた。遠くから見てもはっとしてしまうような綺麗な子、ちょっと触りたくなってしまうような体型の子、目が合えばにっこりと微笑んでくれるような愛想のいい子、聞き上手でやさしい子、一緒にいるだけで楽しくなるような元気な子。
 そういう点で言えば、彼女は飛び抜けて美しい容姿でもなければスタイルがいいわけでもなく、無愛想だし俺を見かけると嫌そうな顔をするし、デートは勿論したこともなければ話が弾んだ記憶もない。
 よく頑張り屋だと俺の周りの人間は彼女を評価するけれど、俺からすれば彼等もまた彼女に負けず劣らずの努力家たちであった。努力することを、それこそ呼吸のように当たり前にやってのけてこの場所に立っている。同じ学年の彼等は特に、それを強く感じさせた。
 彼女は決して特別な女の子ではない。今でこそ敏腕プロデューサーにして唯一の女子という肩書きが付いているが、それは此処が男子しかいないアイドル科であるから目立つだけであって、この学院という括りを外せばその特異性は消え失せるものだ。
 考えれば考えるほど理由が見当たらなくなっていく。仰向けに倒れたまま薄暗いステージ裏の天井を見上げていると、思考の渦の中心とも言える彼女がこちらを覗き込むようにぬっと顔を出した。
「……まだこんな所にいたんですか。ライブ、終わりましたよ」
 俺に抱き着いてきてくれたのは、やっぱり夢だったのかもしれない。いつものように冷たい視線が突き刺さる。
「えっ、もうそんなに経ってたの」
「はい。蓮巳先輩に片付けの邪魔になるから回収してこいと言われました」
 それでも起き上がる素振りもみせない俺に、あんずちゃんは溜息を吐いている。
「喧嘩してたユニットの彼等、羽風先輩の一言が結構効いてたみたいです。あとでお礼が言いたいって、言ってましたよ」
「へぇ。でもいいよ、男からお礼言われても嬉しくないし面倒だし」
「私からも言わせてください。今日は本当にありがとうございました。私が言い聞かせられれば良かったんでしょうけど、経験からして私も彼等と変わらない新人ですから、イマイチ言葉に重みが出ないんですよね」
 そう言うあんずちゃんは少し困ったような顔を見せてくれた。今日はいつもより彼女の感情がよく見える気がする。もしかしたら俺は今まで彼女の冷たい態度ばかり気にして、こういった些細な、それでも確かにある感情の機微を見失っていたのかもしれない。
「今日はあんずちゃんが抱き着いてくれたから、それでチャラってことにしてあげる」
「……あれは、その。勢い余ってといいますか、忘れてください」
「それは無理かな。絶対忘れないね、だって嬉しかったから」
 暗がりの中でも、彼女の照れて少し怒ったような表情ははっきり見えた。転倒防止の為の足元を照らす照明が、彼女の黒い瞳に光を溜め込ませている。ああ、この目が好きだなと思った。
彼女はいつも暗いステージの下でアイドルを送り出し、眩いステージを見上げている。恍惚とするわけでも不安そうなわけでもなく、ただ真っ直ぐに、少し睨んでいるようにも思えるくらい真剣に、送り出した彼等の姿を追っている。時折ステージから漏れて差し込む光が、彼女の瞳の中できらきらと光るのが好きだった。そこに映して貰えたら、自分が今よりマシな何かになれるような気がして、彼女の視界に入ろうと躍起になっていることに気が付いた。
頑ななこの子に愛されてみたいとも思った。頑丈な愛情に守られるというのは、どんな感覚なのだろう。安心して眠る事が出来そうな気がする。しかしそれが現実になったとして、俺が一体この子に何をしてやれるのだろうとも考える。一方が搾取するだけの関係は決して長くは続かない。愛情も楽しさも安心感もお手軽な物を簡単に消費してきたからこそ、揺るぎないものに憧れていた。いざそれが目の前に現れると恐ろしく感じる。本当に欲しかったものは、簡単に消費していいものではない。
 見事にぐちゃぐちゃだなぁと笑えてくる。適当に誰かを好きになって、それで幸せになれたら良かったのに。本当に欲しいものって怖くて触りたくないんだ、いつか自分の手で壊してしまう気がするから。

「……ねぇ、あんずちゃん。俺さ、君の特別になりたいんだよ。俺のこと好きになって。嘘、好きになんかならないで」

 自分でも無茶苦茶言ってる自覚はあった。矛盾している、でもこれが俺の本心だ。
 あんずちゃんはというと、案の定困った顔で足元の照明へと視線を落としている。ちょっと前ならば冷たくあしらわれていそうな気がするのだけど、こうして悩ませるだけ少しは彼女に近付けたのだろうか。
「先輩、無茶苦茶言ってるって、わかってますか?」
「うん」
「――先輩の、やけに押しが強くて、自分の都合がいい方向に話を持っていこうとする感じがすごく苦手でした。やさしいこと言ってても、どうせそれって都合のいい誰かを捕まえる為の常套句なんだろうなって。
 でも、先輩を見てるとよく分からなくなることもあるんです。先輩、自分の気持ちがよく分かってないまま話してることありませんか? なのにそれが本心みたいで、先輩のこと何処まで疑って、どこから信じていいのか分からなくなる」
 
 大事な重たいものは落としてしまうのが怖くて、何にも持ちたくなくて軽薄に生きてきたせいかな。誰かを信じると言うことより、自分を信じてくれって言う方が余程難しく感じる。貴方に誠実で在り続けるという誓いだ、宣誓と言ってもいい。

「何も信じなくていいよ。君のことを裏切るのは、どうも怖いから」

 本当は、信じて欲しいけど。
 矛盾した糸が絡まって固く結ばれて、どんどん解けなくなっていく。根気強く器用な君ならば解けるのか、信じてみてもいいのかな。



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