十二月も終わりに近い金曜の夜。今冬三度目の雪は音もなく今朝から降り続け、踝の高さまで積もった。最低気温は零度とのことだがそれは恐らく市街地の気温であり、真横に海のある学院付近の温度はもう少し下がるだろう。防寒対策として靴下ではなくタイツを履き、一番厚手のショートダッフルコートを着てきてはいたけれど、とにかく底冷えのする夜だ。身体の芯まで沁みる冷気は吸い込めば喉が凍ってしまいそうだ。風は粉雪を攫い、足元で曲線を描いては消えた。吐き出した息は白く細く、冬の黒い夜空に溶けていく。


 こんな寒さの中、長々と外に居たわけではない。つい五分前まで、私はTrickstarのメンバーと適度に暖房の利いたレッスンルームに残っていたのだ。年末にある、学院のユニットが勢ぞろいする大きなライブに向けての練習とミーティングだった。それも終わり、いざ帰る支度をしようかというところで皆の荷物がいつもより少し多いことに気付いた。明日は土曜日で学校も休みだ、今日はこのまま北斗君の家に皆で泊まるのだそうだ。
 いつもより大きく膨らんだバックやひとつ増えたトートバックを提げながら、彼等はいつもと少しだけ違う金曜の夜に胸を躍らせている。仲がいいなぁと微笑ましいその光景を眺めながら、自分の中学時代を思い出していた。私も中学の頃はよく友達と集まってはいつもより少しだけ長く贅沢な夜を過ごした。
 鞄からトランプを取り出して、寝る前にやろうとはしゃいでいたスバル君と思わず目が合う。そうすると、彼は私を見ながら小さく首を傾げた。
「あんずは来ないの?」
 思わぬスバル君の提案に驚いていると、私よりも早く反応してくれるのが北斗君と衣更君だ。
「いや、流石に男四人に女子一人混じってお泊りっつーのは色々問題があるだろ……」
「問題? なんの?」
「そもそも何の支度もなしにいきなり泊まりになったらあんずの方も困るだろう?」
「コンビニなら色々置いてるし、一式揃うじゃん」
「男ならそれでいいだろうけど、女の子は色々あるだろ。なぁ、あんず?」
「うーん、そうだねぇ」
 苦い顔のまま笑うと、スバル君が頬を膨らまして不満の声をあげる。
「あー、スバルくん今回は仕方ないって。いくらなんでも急すぎるし……あんずちゃんも、なんかごめんね。仲間外れにするつもりじゃなかったんだけど、声掛けとけばよかったな」
 遊木くんはスバル君を宥めながら申し訳なさそうに私を見た。折角楽しい夜なのに、そんな顔をしないで欲しい。
「ううん。大丈夫だよ、楽しんできて」
「ありがとう。あっ、そういやあんずちゃんて通学は電車だっけ? それなら駅まで皆で送ってくよ、もう大分遅いし!」
 遊木君の提案には他の三人も頷いていた。時計を見ると時刻は二十時二十分。確かにいつもより少し遅い時間だった。一人で帰るよりは皆に送って貰った方が安心だし、楽しいだろうことも分かっている。彼等ならそれを面倒とも思わないだろうことも。それでも、私の開きかけた口からは考えるよりも先に言葉が零れ落ちていた。
「……うん。嬉しいんだけど、弟が迎えに来てくれるから大丈夫だよ」
「そうなの? あ、弟君普通科に居るんだっけ?」
「そう、近くでバイトしてるから帰りに寄ってくれるって。弟が来るまで少し時間があるからレッスンルームの鍵は私が職員室に返してくるね。皆は先に帰って大丈夫だよ」
 どうしてか、無意識に嘘を吐いていた。
 弟が近くでバイトをしているのは本当だけれど、今日は休みのはずだ。この時間ならもう家に帰っているだろう。律儀な弟のことだ、呼べば迎えにも来てくれるのだろうが、一度帰ったところを学校まで往復させるのもしのびない。

 Trickstarの面々とは職員室の前で別れた。鍵を返すついでに、残っていた椚先生と少しだけ年末のライブについて話をして、職員室を出た。靴を履きかえて校舎を出れば、校門まで続く一本道が真白く光っている。生徒たちの足跡だらけの道をゆっくり歩いていく。歩きながら考えるのは、無意識に吐いてしまっていた嘘のことだ。
 どうしてあんなに無意識に、息を吐くようにして、嘘を吐いてしまったんだろう。あっという間に冷えてしまった両手に息を吹きかける。つかの間の温もりは数秒と持たずに消えた。
 遊木君が気にしていたように、仲間外れにされたと感じているわけではない。彼等のことを信用していないわけではないけれど、衣更君の言うように男四人に女一人でお泊りというのは少々問題があるように思う。まだ学生であり、何より彼等はアイドルの卵であるのだから周りからとやかく言われてしまいそうな要素を自ら作りにいく訳にはいかない。
 それに、この程度で疎外感を覚えるほど私は繊細な神経の持ち主でもなかった。転校したてで右も左もわからなかった私を引き込んで、少々強引ではあるけれどこの学院の中に巻き込んでくれた彼等には感謝も恩も感じている。都合よく使われた、という人もいるけれど結果としてそのおかげで学院に溶け込めたのだと思う。
 女子が一人、プロデューサーが一人。そのせいで苦労しなかったことがないと言えば嘘になるけれど、孤立していると感じたこともなかった。
 同級生たちは気兼ねなく接してくれるし、先輩方にも気にかけて貰っている自覚はある。下級生にも、嫌われてはいないだろう。姉のように慕ってくれる子も何人かいる。

 毎日が慌ただしくて楽しくて、マイナスな事を考えている暇もなかった。目まぐるしく過ぎていく日々に流されて、その感情を私はすっかり忘れてしまっていたのだ。気付いた瞬間、足が止まる。
 どれだけ彼等が気にかけてくれても、どれだけ毎日が楽しくても、私は女でプロデューサー科の生徒だった。どれだけ走ったところで彼等には追いつけないし、彼等と同じ舞台に立つことも同じ光景を目にすることもない。私はアイドルになりたいわけではないし、裏方を走り回るのが自分の役目なのだと理解も納得もしている。そうした上でプロデューサー見習いとしての活動を続けたいと思っているし、やり甲斐だって感じている。
 それでも、と思う。アイドルである彼等が立ち止まり歯を食いしばり、膝を付くような悲しみや悔しさを感じた時、それを見守ることは出来ても、その感情を同じく理解することはないのだろう。同じ方向を見て進んでいても、私と彼等の戦場は違う。そうでなければ成り立たない関係とは分かっていても、心には隙間風が吹いた。
 プロデューサー科の肩書きを得た時点で、私はもう普通の女子高生ではなくなってしまったのだ。ごはんを食べるのも、トイレに行くのも誰かと一緒でなければならなかった、少し窮屈で面倒な女の子の世界にいたならば知らずに済んだ感情だ。
 
 この学院の誰とも違うから、共有できない感覚があること。我儘なことに私はそれが少し、寂しいのだ。
 このふわふわとした掴みどころのない感情は存外にやっかいで、触れないくせに重たく足元に絡みついた。だって私はついこの間まで何処にでもいる普通の高校生だったはずで、その“普通”に括られることに安心していて、こんな風に誰かと分かち合うことのないものを抱えることになるなんて思ってもいなかったのだ。


 生徒の下校時間はとっくに過ぎていた。もう間もなく校門も施錠されるだろう。なのにどうして歩き出せないんだろう。
 足元を見下ろしていると、ふいに辺りが明るくなって顔を上げた。雲に隠れていた満月が顔を出したのだ。冷気に磨かれて白い月は銀粉を刷いたように淡く光っている。砕けた硝子を撒いたような星空、雪が月光を反射して真昼のように明るい、大満月の夜だ。

「こんなところで立ち止まってどうしたんじゃ、嬢ちゃん」

 いつからそこに居たのだろう。夜の闇から吐き出されたように、吸血鬼を名乗るその人は音もなく私の前に現れた。吸血鬼というと北欧の国を思い浮かべるが、なるほど、黒い髪と白い肌は冬の夜がよく似合う。
「……こんばんは、朔間先輩」
「こんばんは、嬢ちゃん。良い夜じゃのう、我輩実に気分がいいのじゃが、お嬢ちゃんは一人かの? 全く、こんな時間に女の子を一人にするとはTrickstarの連中は何をしているんだか」
「いえ、弟が迎えに来るので」
 どうしてかまた嘘を吐いた。いや、もしかしたら私は少しだけ彼等を避けたかったのかもしれない。この感覚ばかりは彼等のうちの誰とも共有できないから。駄々をこねてもどうしようもないから、せめてこの気持ちも一晩かけてゆっくりひとりで消化してしまおう、と。
そんな私の思考を見抜いてか気紛れか、朔間先輩の言葉はいつも唐突に降ってくる。
「それ、嘘じゃろ?」
 猫のように笑う先輩の赤い瞳が一瞬光って見えた。取り繕ってもいいはずなのに、無意識について出た嘘だからだろうか。それとも図星だったからだろうか。私は迷わず首を縦に振っていた。
「ふふふ、嬢ちゃんは変な所で馬鹿正直じゃのう」
「――私も、自分がよくわかりません」
「なぁに、そんなこともあるもんじゃ。どれ、我輩が送ってやろう。嬢ちゃんは電車での通学だったかの?」
「そうなんですけど、今日は遅いしバスで帰ろうかと思って」
「ならば近くのバス停まで送って行こう、ほれ、雪で転ばぬようにな」
 朔間先輩はこちらに手を差し出す。転ぶような積雪でもないけれど、どうしてかこの人には逆らおうと思えなかった。差し出された白い手は、私と同じくらい冷えていた。

「嬢ちゃんの手は冷たいのう」
「朔間先輩だって同じくらい冷たいですよ」
「我輩、此処に来る前はもっと寒い所に住んでたからの、寒いのは慣れっこじゃ」
「……寒い所って、東北とか北海道とかですか?」
 先輩は私の顔をちらりと見ると、悪戯っぽく笑ってみせる。
「もっともっと北の方じゃよ――しかしいくら慣れてるとは言っても、海風直撃は心が折れそうになるのう」
 学院を出てすぐ、真っ直ぐ伸びる海沿いの通学路がある。夏は潮風が心地良いのだけれど、冬はというと冷たい海風が吹き付ける。防潮や風除けの松林があるとは言ってもその範囲は広くもなく、そこを通り過ぎてしまえばそれこそ波のようにこちらを飲み込もうとする風から身を守ってくれるものは何もなかった。
 海は冬の夜空を映してか真っ黒で、時折大岩に波をぶつけて白い飛沫をあげている。ごうごうと低い海鳴りは夜闇に潜む大きな獣の唸り声のようでもあった。海沿いの道には首をもたげた亡者のような白い電灯が等間隔で並び、ぼんやりとした光を放っている。車の通りはいつもより少なく、通り過ぎるトラックのヘッドライトが私達を照らした。
 いつもの通学路のはずなのに暗いからか、それとも冬で珍しく雪も積もっているからだろうか。なんだか当てもなく夜の底を歩かされているような気持ちになって少しだけ心細かった。だから、隣にこの人がいてくれて本当に良かったと思った。
 朔間先輩は赤くなった鼻をすん、と鳴らして口を開いた。
「空は綺麗じゃが寒いし、心細いし、嬢ちゃんが居てくれて良かったのう。我輩ひとりじゃったら寂しくて泣いてたかもしれん」
 ああ、それは多分私の方だ。一人で帰っていたら今頃心細くて泣いてしまっていたかもしれない。
 選ぶ言葉こそ奇怪で奇抜なものの、朔間先輩は気遣いの人だった。周りを良く見て、迷っている人に手を差し伸べてくれる。校門の前で出会ったのはきっと偶然なのだろう。それでも彼の浮世離れした容姿や言動がそうさせるのか、黒い外套を纏った朔間先輩はいつか童話で読んだ、迷い子に道を指し示す夜の賢者のように思えた。

沈黙する私を他所に、赤い自販機を見つけた朔間先輩は丁度よかったと手を摺合せながら寄っていく。あたたかい缶コーヒーを買うと、先輩はこちらを振り返った。すでに硬貨を投入しているのか、並ぶボタンは赤く光っている。
「嬢ちゃんは何にするんじゃ?」
「――いえ、送って貰ってるのに飲み物まで買っていただくなんて」
 首を振ると、朔間先輩は重々しい溜息を吐いた。
「気を遣ってるつもりなんじゃろうが、遠慮のしすぎというのはかわいいもんではないぞ。年長者の顔を立てると思って、ほれ、好きなものを選ぶといい」
 それは暗に私の現状を指しているようにも聞こえた。折角なので、ミルクティーのボタンを押す。その間に朔間先輩はコーヒーのプルタブを開けていたけれど、ペットボトルのミルクティーは歩きながら飲むのは行儀が悪いし難しいとも思ったのでコートのポケットに押し込んでおいた。

「ありがとうございます」
「なに、飲み物のひとつくらい気にせんでいい」
「……いえ、飲み物もなんですけど、校門の前で声をかけて貰ったこともです」
 コーヒーを飲み込んだ朔間先輩はゆっくりと微笑んでこちらを見た。
「先輩はさっき一人だったら泣いてたって言ってましたけど、それはきっと私の方なんです。だから、ありがとうございます」
「何か嫌なことでもあったかの?」
「そうじゃないんですけど……最初から分かってはずのことに今更気付いたっていうか。ああ、私この学院のアイドル科のみんなと誰とも違うんだなって思う事があって、勝手に寂しくなって、贅沢なやつだなって」

 そうだ、これは苦いだけのチョコレートのような贅沢な寂しさだ。みんなそれぞれ違う感覚をもっているのに、アイドルとプロデューサーでは向き合うものも戦う場所も違うのに、理解して共有したいなんてそんなのただの我儘で贅沢だ。
 まだミルクティーの温もりの残る手にゆっくり息を吹きかけると、朔間先輩はやさしく笑ったまま私の背中をぽんぽんと叩いた。
「寂しいに贅沢も質素もないじゃろ。嬢ちゃんはもっと素直に思ったことを言えばいい。同じものを見ているつもりで、少し違うものが見えたりもする。それを共有できない、誰とも違う存在というのは孤独なものじゃからのう」
 そう言い切る言葉を聞いて、私ははたと思い出すことがあった。
「先輩も、寂しいんですか?」
「うん?」
「だって先輩、吸血鬼じゃないですか」
 そう言うと朔間先輩はどうしてか驚いたような顔をしてしばし固まった後、ぷっと吹き出すと声を上げて笑い始めた。
「いやぁ、我輩は確かに吸血鬼なんじゃが、まさか鵜呑みにする人間がいるとは思わなんだ」
 そう言って耐え切れないというようにまた笑い始めた。先輩があんまりにも笑うから、なんだか恥ずかしくなって居心地が悪い。
「わ、私だって、全部信じてるわけじゃないですよ。そういうキャラ作りなのかなって未だに思ってるとこありますし……でも、私本物の吸血鬼に会った事がないから、先輩のこと偽物だって断定することも出来ないなって」
 本音を言えば神様も幽霊もあんまり信じてはいないのだ。だから吸血鬼なんて居るわけがないとも思っているのだけれど、私が思っているより世界はずっと広い。私から見えない、見ようともしなかった場所でも生きているひとは沢山いて皆必死に生きている。そのことをこの学院に来て思い知ったから、私の知らない何処かでそういった見えない何かが確かに存在しているのかもしれない。
「いやいや、笑ってすまんかったの。今の日本で吸血鬼です、なんて言っても白い目で見られることが殆どじゃから、我輩の存在を肯定してくれる人間がいるのは幸せなことじゃな。ありがとうな、嬢ちゃん」
 まさか感謝されることになろうとは思ってもみなかった。ひとしきり笑ったせいか、先輩の頬はほんのり薔薇色に染まっている。吸血鬼っていうのは映画や漫画でしか知らないから、なんとなく血色の悪い白い顔のイメージが大きかった。実際先輩もあまり顔色の良くないことの方が多いのだけれど、ライブの時や楽しそうな時はこうして頬を微かに赤くしている。
 それを見る度、なんだか喜ばしい気持ちになっている自分がいる。私はこの人が幸せそうにしているとなんだか嬉しかった。朔間先輩はいつもなんだか寒そうで、寂しそうにも見えたから。
「朔間先輩は、どうしてアイドルになろうって思ったんですか。アイドルって、大変じゃないですか。身体資本で体力ないといけないですし、お仕事の種類だって沢山ありますし。
日光が苦手な先輩も、たまに日の光を浴びてだってお仕事してますよね。ステージに立てば、日の光ではないけど眩しいくらいのライトに照らされることになる。自分にとって苦しいことがあると分かってて、それでも続ける理由ってなんですか?」
 吸血鬼の先輩が選ぶのに、あまりにも不都合が多すぎるとは前から思っていた。先輩が本当に吸血鬼ならば、暗い場所に潜んでいれば苦しい思いをせずに済むだろう。それなのにどうしてかこの人は、自ら光に当たる道を選んでいく。いつも眩しそうに目を眇めながら、他のアイドルたちを見ているのに気付いたのはいつだったろうか。そして目を眇めているのは私も同じであるかもしれなかった。彼等の背中はいつも眩しいのだ。
 朔間先輩は立ち止まると、少し困ったように笑ってみせた。黒い海鳴り、明るい満月、少し霞んでも見える星の光。瞳の赤だけが何にも馴染まずにそこに在る。

「……寂しいから」

 何となく、はぐらかされてしまうのかもしれないと思っていた。素直に吐き出された本音と同時に色んなものが胸に落ちてきた気がした。
「アイドルだけじゃなく、芸能界で成功している人間のことをスターと呼ぶじゃろう? 真昼の太陽にはなれなくとも、夜空の星ならどうにか近づけるかと思ってのう。夜闇に紛れてずっと一人というのは、どうにも寒くてかなわん。そんな場所に自分だけならともかく凛月まで置いておくのは忍びなくてな、気が付いたらこんなところまで来ておったよ」

 短い笑い声と同時に白い息が昇っていく。
 この人が何かと私を見守っていてくれたことも、UNDEADにあの三人を選んだことも、少しだけ分かった気がした。自分が寂しいから、この人は他人の寂しいに敏感であった。私がこの学院で誰とも違う存在になることも、私よりも先に気付いていたに違いない。そして何か埋まらないものを女の子と過ごすことで埋めようとする羽風先輩も、誰もいらないと言い張りながら寒そうな背中を見せる大神君も、生まれや文化の違いに適応しきれないままでいるアドニス君も、どこかしらみんな寂しい匂いがした。
 アンデッド、死にながらに生きる者。その名前は自分への皮肉だろうか。それとも、こうであってはいけないという他者への警鐘だろうか。少なくともあの三人は違うだろう、ライブの表情は皆ギラギラしていて生きることに貪欲だと思った。だからきっと、先輩が選んだ三人が、今とは違う何かに先輩を連れていってくれる。それはきっと先輩が寂しいという感情を寂しいままで終わらせようとしなかったからだ。

「先輩は今も、寂しいですか」
「……さぁて、どうじゃろうな」
「大丈夫ですよ、きっと」
 確証なんて何一つないけれど、口に出すのは私がそう強く信じていたいからだ。朔間先輩は驚いたように目を丸くしている。
「私もちょっと寂しかったんですけど、先輩のこと見てたら考え方変わりました。誰とも違うから、出来ることがあるんですね」
 彼が年長者として学院の生徒たちを愛し、見守るように私は上手く出来ないかもしれないけれど。いつか自分の苦しみがそうやって誰かを助けることに繋がるのなら、それはとても幸せなことなんじゃないだろうか。報われるって、苦しいことから逃げ出すのではなくて、それを続けた末に見える何かのことを指すんじゃないだろうか。若輩ながらにそう思えたのは先輩のおかげだ。

 思ったことを言っていいと言ったのは朔間先輩なのに、朔間先輩は珍しく戸惑ったような表情で私を見ている。
「ああ、もう、何と言えばいいのかのう……なんだか嬢ちゃんに一本取られた気分じゃな」
「何ですか、それ」
 先輩は悪戯っぽく笑うと私の肩を抱き、大袈裟に息を吸いこんで空を見上げた。
「真昼のように明るい月に、少し雲もあるが星も見える。寒いのが少々いただけないが今日は実に良い夜じゃ。感謝しよう、あんずの嬢ちゃん。今夜おぬしに会えたのは幸運だった」
「私も、先輩と話せて気持ちが楽になりました」
 先輩の頬は薔薇色のままで、それが見れて良かったなと思う。突然学院に転がり込んできた、路傍の石みたいな小娘の私を見守っていてくれたひとだ。幸せでいて欲しいと思う。

 そして間もなくバス停が見えてくる。程なくしてやってきたバスに乗り込んで、左側の席に座った。もう帰ってしまったとばかり思っていた先輩は未だにバス停に立っていて、笑ってこちらを見つめている。驚いて窓に顔を近付けると、声こそ聞こえないものの、お休みお嬢ちゃんと先輩が言ったのが分かった。
 ドアが閉まります。女性音声のアナウンスが入り、バスはゆっくり発進していく。それから先輩の姿が見えなくなるまで、私はずっと窓を眺めていた。

 一人になり、スマホを取り出そうとしたところでコートのポケットがやけに膨らんでいることにようやく気付いた。そう言えば、先輩にミルクティーを買って貰ったことをすっかり忘れていた。もう冷めてしまっているだろうか。
 取り出したペットボトルのミルクティーは僅かにあたたかい。ちいさな幸せの象徴のような温もりを両手で抱きしめて、私はゆっくり目を閉じた。



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