くまのぬいぐるみ、赤いリボンでラッピングされたプレゼント、爪先のまあるい黒いエナメルのシューズ。
 昔から可愛いものが好きだったし、自分が可愛いことも知っていた。かわいいものは見るだけでたちまち心をとろけさせてしまうから、可愛いボクも見るひとの心をとろけさせてしまっているに違いない。

 実際、ボクがなにをしても最終的に許されてしまうのだ。シーツに本物と見紛う蛙のオモチャを隠しておいた時も、使用人は怒りながらも笑っていたし、弓弦だってなんだかんだ言いながらも最終的には甘やかしてくれる。

 可愛いボクに、世界は抗えない。
ボクを中心に世界は回るし、誰もがボクを愛さずにはいられない。そう思い込んでいたのだ、今、この瞬間までは。



 お昼をとるのは雨の日以外はガーデンテラスで、と決めている。あそこは日当たりが良くて綺麗だし、何より学年が違うせいでユニットの練習以外ではなかなか会う事が出来ない会長と顔を合わせることが出来る貴重な場所だった。更に言えば、自分の好きな物を好きなだけ食べることが出来る。これが家だと、坊ちゃま、栄養のバランスを考えて――なんて言う弓弦に料理にピーマンやにんじんを入れられるし、全部食べるまで放してはくれないのだからガーデンテラスはボクの天国だった。
 そして今日みたいに都合のいい日は、あんずがボクを膝に乗せてごはんを食べさせてくれる。本当は毎日でもそうしていのに、あんずはここのアイドル全員のプロデューサーだから、昼休みだっていうのになかなか捕まらないことが多い。お給金ならいくらでも出してあげるから、ボクとfineの専属になればいいのに思うのだけど、会長がそれではつまらないから、と言うのでボクも許してあげている。ここの学院のアイドルたちは庶民にも寛容なボクと会長にもっと感謝するべきだ。

 今日のお昼はオムライスだ。
 チキンライスにはふわふわのオムレツが乗っていて、それにスプーンを立てると中から熱々でとろとろの玉子が流れてくる。デミグラスソースも濃厚で美味しいし、ホワイトソースもまろやかで捨てがたいのだけど、かけるのはケチャップと決めている。使用人がいるとこれに上手にくまを描いてくれるのだけど、あんずも弓弦と同じであんまり絵が上手くなかった。
「ねぇこれ、くま? ねずみ?」
「ごめんね、精進するから……」
 スプーンとお皿の立てる音を聴きながら、ボクはあんずの膝の上で足をぷらぷらと揺らしている。運ばれてくる料理の一口目はあんずにあげる。毒見とかそんなんじゃなくて、料理が熱すぎないか、温度を見てくれているのだ。ボクが頼まなくても、あんずはそうすることが当たり前だとでも言うように初めてごはんを一緒に食べた時からそれをやってくれていた。奴隷のくせに主より先に食べるなんて、とは言わない。
 それはなんだか愛されている証拠みたいで、待つことはキライなんだけど、この時間がボクはとても好きだし大事だった。

「……うん、熱くないし今日もすごく美味しい」
「ほんと? じゃあ早く食べさせて!」

 ボクの食べるペースに合わせて、あんずはスプーンを口に運んでくれる。やっぱり弓弦ほど完璧じゃないんだけど、あんずがたまに大丈夫?と聞いてくれたり、その日あった事を話してくれるのが嬉しかった。
 オムライスのお供は、オレンジジュースと決めている。たまにジュースを飲みながら、クラスであったことや創の話を聞いて貰っていると、ガーデンテラスにはおおよそ似つかわしくない、男二人がづかづかとこちらにやって来るではないか。

 ああ、この二人は見た事があるぞ。確か副会長と同じ紅月の二人だ。練習帰りなのかなんなのかは知らないけど、ジャージな上に腕まくりまでしている。わざわざ休みの時間にまで動き回るとか信じられない。ちょっと引き気味に見上げていると、赤毛で強面の方があんずを見かけて軽く手をあげた。
「休み時間に悪いな、嬢ちゃん。放課後のレッスンの件について話があったんだが……出直した方がいいか?」
 赤毛はボクをちらりと見ながら申し訳なさそうに言う。こいつは赤ちゃんでなくても幼稚園児が見たら泣いて逃げ出しそうな顔をしているくせに、妙にやさしい男だった。喧嘩祭のあとにfineの白拍子の衣装を着たくまのぬいぐるみをくれたので、こいつには少しばかり恩がある。
「……ボクはいいよ。その代わりさっさと済ませてよね」
「悪ぃな坊ちゃん、ああ、嬢ちゃんはそのままでいい。座ったまま聞いてくれ」
 そうしてあんずはボクを膝に乗せたまま、赤毛と話を始めてしまった。そうなるとボクは暇になるので、足を揺らして待っているしかない。つまんないなぁ、となんとなしに顔を上げるとボクのすぐ横には日本刀を振り回すサムライ男が立っていた。
 あっ、確かこいつ喧嘩祭で会長に襲い掛かってた奴だ! あの時はやたらと殺気立っていたけれど今はなにやら穏やかな様子で赤毛とあんずの話を聞いていた。

 確かこいつはあんずと同じクラスだったはずだ。二年、一個上――ボク、あと一年でこんなに伸びるのかな。
 よく見れば捲られた袖から伸びる腕にもしっかりした筋肉がついている。Fineで一番大柄なのはロン毛だけど、あいつもここまではついてなかったはずだ。腕をじっと見ているとサムライ男と目が合ってしまった。
「我に何か用でもあるだろうか?」
「――うえっ、いや、腕、ちょっと触ってもいい?」
「それくらいならお安い御用であるな、少し近寄るぞ」
 サムライ男はボクの手が届くくらいまで屈んでくれている。指先でつん、と触れるとびっくりするくらい固い。
「かった! うええ、何すればこんなになるの?」
「む、鍛錬の内容であるか? そうだな、まず早朝の走り込みに腕立て、腹筋、背筋、それから素振りを二百本して準備を済ませてから実家の道場での朝稽古――」
「うわぁ、わかったからもういい! 聞いてるだけで疲れそう!」
 耳を塞ぐ素振りを見せたというのに、サムライ男は勝手に何か頷き始めている。
「可愛らしい容姿をしていると言えども、姫宮殿もやはり男児。鍛錬に興味がおありのようだ、よかったら我と一緒に稽古でも」
「興味ないし、やらないからね! だいたい、可愛いボクにはそんな硬くて重たい筋肉なんかいらないの!」

 サムライ男の腕をばしばしと叩いているうちにあんずと赤毛の話し合いも終わったらしい。ほんとにさっさと終わったなぁ。
「じゃあな嬢ちゃん、放課後にな」
「ではあんず殿、また教室で」
 二人に手を振って、食事に戻るのかと思いきや、あんずが動く気配はない。おかしいな、いつもならすぐに声をかけてくれるのにそれもなかった。
「ねぇ、あんず。どうした――」
 見上げたところで言葉が止まってしまう。
 あんずはうっとりとした表情で去っていった二人の背中を見つめているではないか。それこそ、とろけてしまうようなうっとり具合だ。可愛いものが心をとろけさせてしまうことは充分知っている。でもあんずのそれは、可愛いとは違う何かが引き起こすとろけ具合なのだ。

 そんな顔、するんだ。
 雷に打たれたような衝撃だった。だってあんずは僕にはいつもやさしくて、お母さんとか保育士さんみたいな笑顔でボクを抱き留めてくれていた。だからボクはあんずのそんな顔なんて知らなかったし、知りたくなかった。
というか、ボク以外の誰かが、あんずのこんな顔を引き出しているという事実に腹が立って仕方なかった。こんなに、世界一可愛いボクが目の前にいるというのに! あんな脳筋ゴリラたちにうつつを抜かすなんてあってはならない、忌々しき事態なのである。
「やっぱり褌祭の企画、無理矢理通せばよかったかな……」
「――あんず」
「ごめんね桃李くん。お昼の続きにしようか」
「いらない。ボク、帰る」
「えっ、桃李くん?」
 追いかけてくるあんずの声を無視して、ボクは足早に教室へ戻っていく。
 午後の授業は、ちっとも集中できなかった。どうしたらあんずの目線をボクにだけ留めておけるのか、そればかり考えていた気がする。
 あんずが他のユニットをプロデュースするのは正直面白くはないけど、まだ、いい。でも、あんな顔を他の奴に見せるのは絶対いやだ。なんでかはよく分からない。それでも、あの表情を引き出せるのはボクがいい。ボクじゃなきゃ駄目なんだ。


 授業中も、家に帰ってからも考えて考えて、考え抜いて、僕は夜に自室へ弓弦を呼び出した。
「坊ちゃまから呼び出しだなんて、珍しいこともあるものですね。それで、如何されましたか?」
「……身体を鍛える方法教えて。それも、なるだけ早く効果がでるやつ」
 ぼそぼそと呟くように言ったのに、どうやら一言も聞き洩らさなかったらしい(気持ち悪い)弓弦は、目を潤ませながらボクの肩を掴んでくる。
「坊ちゃま……! ああ、なんて喜ばしいことなんでしょう、坊ちゃま自らが鍛錬を望まれる、こんなことは」
「ああもう、うるさい! 御託はいいから、早く効率のいいやり方教えてよ!」
「畏まりました。十五分、いえ、十分で私が坊ちゃまに相応しい完璧なメニューを考えてみせます!」
 鼻息荒く言うと、弓弦はボクの部屋から飛び出していき、きっかり十分で戻って来た。こういう正確さがちょっと、いや結構気持ち悪いと思うのだけど今は言わないでおくことにする。
「ご覧ください坊ちゃま、これが今日から始めます身体能力強化のメニューでございます」
 A4サイズの用紙にびっちりと書かれたメニューに目を通すだけでやる気が削がれていく。Fineの練習の他にこのメニューは絶対キツい。しかもこれ、筋トレだけじゃなく食事の制限までついてるじゃないか。
そもそも努力だとか勤勉という言葉がボクはキライだ。面倒臭いのも苦しいのも嫌だ。でも、あんずが他の奴にあんな顔を向けるのはもっと嫌だ。唇をぎゅっと結んで覚悟を決める。
「めんどくさい、けど。これやれば、身体は鍛えられるんでしょ?」
「勿論です坊ちゃま」

 こうして、弓弦との身体強化トレーニングの日々が始まった。
 家にはボクが夢ノ咲に入学を決めてから作られたダンスの練習用にトレーニングルーム(ただし一回も使われていない)があったから、特に何処かに向かう必要もなく、学校が終わってからは毎日ここで弓弦とトレーニングをしている。高校生のボクの身体はまだ成長途中であること、そしてユニットの練習に響いてはいけないからと弓弦なりに手加減はしてくれているみたいだけど、慣れないことを始めたせいか、身体は早々に音を上げている。
 教室では突っ伏してばかりのボクを心配して隣のクラスからわざわざやってきた創が何度も声をかけてくれたけど、創からこのことがあんずに伝わってはいけないから秘密にしていた。
 あんずとは、あれから連絡をとっていない。カッコ良くなったボクを見て驚かせてやりたいから、これでどうだ! くらいの変身を遂げるまではなるべく会いたくなかった。

 はっきり言って、ボクは気の長い方ではない。それに飽きっぽい自覚もある。それでもトレーニングは一週間続いていた。体重は、ちょっと減った。使用人にもなんだか締まってきましたね、なんて言われる。それでもあの日見たサムライ男の腕には程遠い。だってあいつは気が遠くなるような量の鍛錬を毎日やっていて、それであの腕になっているのだ。一週間程度じゃどうにもならないと頭ではわかっていても、心は焦り始めている。

 こうしている間に、あんずが他の誰かを好きになっちゃったらどうしよう。あの赤毛とか、サムライ男とか、流星隊の赤いのとか、アンデッドのハーフの奴とか。
 ボクにない魅力で売っている奴は沢山いる。だから早く、強く、かっこよくならなくちゃいけないのに、どうしてボクの腕は細く柔らかいままなんだろう。変わりたい、と思うのに身体はボクについてきてくれない。
「……坊ちゃま、今日はこの辺で終わりにしませんか?」
 気付くと額から流れた汗が頬を伝って顎からぼたぼたと落ちていた。息が切れてくるしい、身体は疲れたと叫んでいる。でもね、まだだよ。これじゃあ駄目なんだ。
「……嫌だ。疲れたなら弓弦は先に帰ってれば?」
 強がりだ。弓弦はまだ疲れてなんかいない。今までそれを何とも思ったことはなかったけれど、どうしてだろう妬ましいと思っている自分が居る。
「今まで黙ってお付き合いして参りましたが、少しだけ言わせてください。何も無理して急に別の何かを目指さなくても、坊ちゃまは坊ちゃまのままで充分素敵いらっしゃいますよ」
 お前も、使用人たちもそう言うんだね。会長もそう言ったし、あんずだってボクに何かを求めようとしなかった。
 でも、それがボクは少し悲しくて寂しい。ファンのみんなだって口を揃えてボクを可愛いと言うし、そのままで居てねとも言ってくれる。ボクは可愛いボクが好き。変わる理由も必要もないと思っていた。でもね。

「弓弦も、会長も、そのままのボクでいいって言うよね。でもさ、本当はそんなの無理に決まってるじゃない。
 毎年ちょっとずつ背が伸びるよ。靴のサイズだって大きくなってく。髪と爪が伸びるみたいに、毎日ちょっとずつ、知ることが増えてく。ボクは毎日変わってくのに、そのままでいてなんてさ、そんなの、おかしいよ」

 本当はずっと思っていたこと。でも口にしたら何かが変わってしまう気がして怖くて言えなかったこと。可愛いボクでいたい。ずっとみんなに、誰かに愛されて世界の中心で笑っていたい。でも、このままじゃあボクの欲しいものは手に入りそうにないのだ。
「……坊ちゃま、私が間違っていましたね」
「弓弦?」
 タオルをボクに手渡しながら、弓弦はボクの背中を撫でてくれている。
「少し休んで、それからもう少しだけ、頑張ってみましょうか。これだけの心意気なのです、近いうちに身体も坊ちゃまの心に追いつくでしょう」
「――うん」
 タオルで顔を拭って、唇を噛みしめた。
 その日は、十時過ぎまでトレーニングルームに残って父さんに二人で怒られた。


 それからまた一週間が経つ。
 腕は少しは固くなってきたけど、やっぱり筋肉がついてるって感じはまだしない。腕の筋力を鍛えるのにいいと教わってから竹刀での素振りもメニューに入れたけれど、慣れないもので手のひらはあっという間に豆だらけになった。
 指の付け根が何もしていないのにひりひりと痛む。あとどれだけ頑張ればいいんだろう。
 お昼を迎えて、弓弦お手製のお弁当を食べようと廊下を歩いていると、久しぶりにその声を聞いた気がする。

「桃李くん!」

 会いたかったような気がする。それと同じくらい、会いたくなかったような気もする。胸の中がぐちゃぐちゃになって、苦しかった。顔を見たら安心して泣きたくなってくる。
「しばらく連絡とれなかったから、気になってて。少し痩せた?」
「……あんずの、バカぁああ」
 何が少し痩せた、だ! ボクがどんな思いで二週間過ごしていたか知りもしないくせに優しい顔して近付いてこないでよ。
 あんずに会えて、安心した。でもあんずにとってのボクは二週間前と何も変わらないみたいで、悔しくて涙がぽろぽろと零れて止まらなかった。あんずは珍しく驚いたような顔をしてボクの手を握った。
「――っ、いたい! あんず、ほんと、バカぁ」
「ごめん……わっ、すごいマメだらけになってるよ、どうしたの?」
「ぜんぶ、あんずがっ、わるいんだからね! っ、あんな脳筋ゴリラなんかにうっとりしてるから……」
「脳筋ゴリラって」
「紅月の! ふたり! この間ごはん食べた時、ずっと見てたじゃん」
「……あれはその、二人っていうより筋肉に見惚れてたっていうか――私、筋肉フェチかもしれなくて」
「あんずの変態! ばか!きらい!」
 さっきまでずっと困ったような顔をしてたくせに、嫌いと言った時だけなんだかひどく悲しそうな顔をしてみせる。ああ、やっぱさっきのなし。訂正。その顔みると、なんか、ボクも苦しい。
「――っ、うそ、好き。好きだから、他のやつのことなんか見ないで」
 縋るようにぎゅっと抱き着くと、あんずはゆっくりと抱きしめ返してくる。胸元に耳を寄せると、心臓の音がした。全然速くなってないのが悔しい。お願いだからお母さんみたいな顔してボクのこと見ないで。抱きしめられてドキドキして。
「桃李くん、かわい――」
「可愛いは、禁止!」
 どうしてだろう。ついこの間までは可愛いって言われるのが嬉しかったし、当たり前だとも思っていたのに、あんずにそれを言われると胸がぎゅっとする。だからね、

「必ず。近いうちに必ず、ボクのことカッコいいって言わせてみせるから」

 それまで他のだれのことも見ないで。ボクのことだけ、みつめていてよね。



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