それこそ、鳥の刷り込みのようなものだったんだろうね。
 僕がこの学院の玉座を手にしたライブの最前列に、桃李は居た。見開かれた大きな瞳はまるで世界を初めて目にしたような喜びに満ち溢れている。薄い緑にたっぷりの光を溜め込んで、桃李は幼い瞳に僕の姿を映した。僕の傍に近付こうと身を乗り出して、今にもステージに登って来そうな勢いだ。
 心身共に疲れ果てていて、敵であったはずの渉に支えて貰わなければ立ってもいられなかった僕は、そんな桃李の様子に少しだけ救われていた。僕にもあんな時期があったような気がする。病室で初めてアイドルを見た時の気持ちを思い出していた。きらきらしてて、眩しくて、見ているこちらまで心が躍るようで、夢見心地で。そんな風に希望を与える存在になりたかったはずなのに、どうしてこんなに身体は重いのだろう。眩いものを守る為に汚れた手は磨いてもきっと光ることはない。だから、僕はあの日の桃李に少しだけ期待をしていた。早く此処においで、今の僕ならきっと泥ひとつ被せることなく君を眩しいアイドルにすることができる。
 何か約束を交わしたわけでもない。一瞬交わった視線が全ての始まりで、視線ひとつで僕と桃李は見えない何かに結ばれたのだ。まるで親鳥と雛鳥のように。

「会長!」

 幼く可愛らしいボーイソプラノで僕を呼ぶ桃李が可愛くて仕方なかった。
 僕は一人っ子だったし、先輩後輩だとか他の皆が当たり前に持っている上下の関係を築くのがあまり上手ではなかったから、年下の子に好かれるというのはこれが初めてだった。
 学院内だけでなくたまに呼ばれて向かうパーティ会場でも、僕を見つけると桃李はすぐに駆け寄ってくるのだ。僕の後を追いかけては、眩しいくらいに瞳を輝かせてこちらを見上げてくる。どうしてか、この子の期待だけは裏切りたくはなかった。貧弱で臆病な僕だけれど、君の前では不敵で無敵な皇帝陛下で居たい。君の存在が僕を奮い立たせる。いつまでも弱いままでは居られないから、虚勢でも強く、貴く。可愛い可愛い僕の桃李。どうやったら君を大事に守ることが出来るんだろう。
 余計な外敵に狙われないように、鳥籠に入れておこうか。籠の中は僕の権力の及ぶ範囲だ、誰も僕の可愛い桃李に傷をつけることは出来ない。可愛い可愛い、僕の桃李。君は聡い子だから、間違ってもこの鳥籠から飛び出していくことはないんだろうね。

 インコか、文鳥か、金糸雀か、僕は桃李のことを愛玩鳥のように思っていたのかもしれない。この籠の中に居る間は、君はずっと可愛い桃李のまま。大きくなる事もなく、可愛らしい声でずっと僕の名前を囀っていてくれるのだろう。君は殻を破って僕を見つけたけれど、僕は殻と大差ない鳥籠に君を閉じ込めていた。君が愛玩鳥であることを信じて、小さな鳥籠で君を飼い慣らしているつもりだった。
 可愛い可愛い、僕の桃李。きっと最初から僕は君を見誤っていたんだろうね。君は愛玩鳥なんかじゃなかった。気高く立派な鷲の子供だ。それを僕が愛玩鳥用の籠に押し込んでいたから、君も自分を愛玩鳥だと思い込んでいたんだろうね。僕の鳥籠はさぞかし窮屈だったろう? だって、今僕と対峙している君は思っていたよりもずっと大きいのだ。

 僕とは反対の舞台袖から、桃李が颯爽と歩いてくる。頭には小さな冠を乗せ、短い丈のマントが風を含んで翻る。胸元のタイは背筋を伸ばした鷲の、白くふっくらとした胸の毛を思い起こさせた。桃李、僕の可愛い桃李。もう僕を、あの日みたいに憧れの眼差しで見つめてはくれないんだね。相変わらず大きな瞳は静かに僕を見据えている。
「桃李、僕の鳥籠は窮屈だったろう?」
 そう問いかけると、桃李は一瞬だけ昔のように甘ったれたような表情を見せてくれた。
「ううん。すごく、居心地が良かったよ。会長がボクのこと愛してくれてるって世界で一番実感できたから。だからボクは自分が無敵だって思い込めたんだ。会長の金色の羽根で自分のことを飾り立てて、自分が強くなった気でいたの。全部、会長っていう後ろ盾のおかげだったのにね」
 ねぇ、いつから君はそんな風に笑うようになったのかな。僕の知らない桃李が居る事が、面白くて少し寂しい。
「――君はもう僕の桃李じゃないんだね」
「多分、最初から会長のものじゃなかったんだよ。ボクはボクだけのものだ」
 そうだね、きっと君は初めから僕のものじゃなかった。君があまりにも可愛いから、僕は自分の鳥籠に仕舞い込んでしまったのだ。
「会長の鳥籠は居心地が良くて、出来ることならずっとそこに居られたらよかったんだけど。でもね、このままじゃボクは会長の視界に本当の意味で入ることが出来ないから、だからボクは出て行かなくちゃ」
 風が吹いて、桃李のマントが膨らんだ。飛び立つ直前、鳥が身体を縮めて羽根を広げる瞬間に、それは少しだけ似ていた。桃李は左手でマントの裾を掴んで引き寄せる。堂々とした仕草に、僕は胸が熱くなるのを感じた。
「待っててなんて言わないから。会長はボクのこと気にして振り返ったりなんかしないで、前にだけ進んでいってよ。絶対に、追い越して見せるから。もう会長の後ろを追いかけるだけのボクじゃないよ。会長がボクの視線を奪ってったみたいに、今度はボクが会長の視線を奪ってあげる」
 若緑の大きな瞳は、闘志に燃えて煌いて見える。もう桃李は姫君じゃない、小さな王者と呼ぶに相応しい風格だ。背中が粟立つような感覚があって、僕は喜びと興奮でどうにかなってしまいそうだった。可愛かった、可愛いだけだった桃李が、今僕の横に並び立とうとしている。ああ、これほど喜ばしいことはないだろう? 僕はね、頑丈な子が好き。全力で殴っても壊れたりなんかしない、寧ろ殴り返してくるような生意気で強い子が好き。だからね、君が僕の喧嘩相手になってくれること楽しみに生きていくことにするよ。
「ねぇ、桃李。最後にひとつだけ聞かせてよ――僕は、君にとって憧れの皇帝陛下だったかい?」
 桃李は首を傾げて瞬きを一つしたあと、ニッと悪戯っぽい笑みを浮かべて応えてくれた。
「あったり前でしょ! じゃなきゃ、超えたいなんて思わないもん!」
 スポットライトを浴びて笑う桃李があまりに眩しすぎて、光が目に沁みて、涙が出そうだ。可愛い可愛い、僕のものだった桃李。好きな場所へと飛んでお行き。




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